それゆえ人間は生命(体)ではなく、生命を受容する器であるゆえ、父による人間の懐妊も生命の懐妊ではなく、生命を受けることのできる最初の、かつもっとも純粋な形の懐妊にすぎず、この子宮内の核または出発点のようなものに、生命を受けるに適した形の原質と物質とが、その秩序と度に従って順次附加されていくのである。
(スエデンボルグ『神の愛と知恵』P6
今から一年前、ある不動産会社でパート職をした。収入源とするだけでなく女性の姿で働くとを目指して職を得たが、とんでもないブラックな会社だった。週1日か2日の勤務をしてそのたびに死にたくなるような気持ちになった。そこを辞めて別の職場を得て、息を吹き返した。得た教訓。
人は環境によって黒くも白くもなれる。転職は白くなるための葛藤であり、苦闘でもある。
転職や生活環境を変えることを、単に自分に合う職場探しとか、自分らしさを求めるとか、そんな「ハッタリ」で納得したフリをしてはならない。人は「器(ウツワ)」なのだ。器ゆえに中に入れるものが黒ければ汚れるし、劇薬であれば崩れていく。清流であれば磨かれる。何を自分の中に入れるか入れないかを決めて実践すること、それが生きることである。スエデンボルグは人は生命を受容する器として生まれ、度=悪か善を決めるレベル=を上げていくことが正しく生きることだと書いた。
2026年4月4日