マンションへの道

2025年4月から、住んでいる自治体の市民交流施設に勤めている。遊びや運動、音楽演奏やダンス、会合や学習、語らいなどで市民が集える施設。勤めの目的は三つある。

第一に収入源として。週に3日平均、それも晩の時間の勤務だから大した収入にはならないけれど、トランスジェンダーという身なりで受け入れてくれた施設である。ありがたいです。

第二に大義のため。施設には学び、遊び、自分を磨きにくる人ばかりで、ポジティブ。そのポジティブさが自分にも伝わってきて、そうであればポジティブで返さなくてはならない。姿が見える身近な人々のために働くことは喜びであり、だから施設の床を磨くのも厭わずにできる。人のために働くという手応えあり、すなわち天職かもしれない。運営や管理、人間関係で不満があったとしても、大義の前ではちっぽけです。疲れたとか、つい怒ってしまうときには、大義のために働いていることを思い出す。すると他のすべての感情は小さくなっていく。

第三には懺悔のため。その施設はかつて住んでいたマンションのそばにある。行き帰りにマンションに向かって、家庭を壊したことを心の中で詫びる。悪いことをした、赦してくれ、見守ってくれ……と語りかける。懺悔する心には形がある。それは「すり鉢状」の形をしている。すり鉢に詫びごと入れる。それを擦り棒で砕いていく。詫びごとはどんどん小さくなり、粒になっていく。それが懺悔の器である。


マンションの北側の道はかつて路地だったが、私たちが去ってから宅地開発されて拡幅された。ここは車がほとんど通らないので集中できる。すると着想が降りてくる。発想の小径である。つまり懺悔も悪いことではない。
2026年4月14日

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