人間・医療・社会

私が10数年続けてきた医療ライティング仕事の集大成、別の言い方をすれば「これまで書いてきたことにカタをつける」べく、一冊の本を書きだしている。仮題は『欲望の救急』、某医大の高度救命救急センターが舞台で「救命とは何か」を問うものである。取材とことばの整理をしながら、読者の心に火を灯す「行間に餡子」が詰まった本にするべくおのれを切磋している。その執筆準備のひとつが「書き方」である。関連する参考書とするノンフィクションをいくつか読みこんでいる。

朽ちていった命 被曝治療83日の記録』はNHKの東海村臨界事故取材班によるルポで、JCOのウラン燃料の加工作業中に被曝した患者の救命と死が軸である。放射能事故という社会テーマを描きながら、なぜ溶けていく人を助けるのか?助けるべきなのか?と医師や看護師の自問を書いた。本書の書き方は証言者の言葉とカルテや医学の医療情報を重ねたもので、いわば報道の王道である。医療と社会テーマを描いたルポルタージュといえよう。

一片の生 ある病院長の病床講義』は医療人恩地裕が闘病中に口述したことを本にしたもので、恩地は昭和の医療界に麻酔や整形外科で業績を挙げ、黎明期の救命救急の立役者にもなった。恩地は私が書く本の中に出てくる。私が『ドクターの肖像』で100数十人の医師インタビューを書いてきたのも同じようなスタイルである。その人の体験や考えをインタビューや資料通じて知り、その「人物の体験記」を描くものだ。

汝の父を敬え』はゲイ・タリーズのマフィアのボスの半生を描いたノンフィクション代表作である。医療とは関係はないが、著者は6年間ボスの間近で過ごして、観察と対話によってボスやそのファミリーの登場人物を「あたかもそこにいるかのように」描いた。ノンフィクションノベルというジャンルを創った作品をあらためて開くと、人物を思いと行動をからめて書いていることに気づいた。ナニナニをしてコレコレと思った、という書き方である。三人称なのに一人称を感じさせる「ヒューマン・ストーリー」はこう書くのかというお手本である。

『ガン回廊の朝』はノンフィクション作家柳田邦男の代表作で、国立がんセンター発足時からのガン撲滅に闘う医療人の記録である。がんの説明や関連研究、検査法など医療情報の挿入の仕方も巧みである。本書はガン撲滅をめぐる「社会ストーリー」と言える。余談だが、柳田はゲイ・タリーズの『汝の父を敬え』は「嘘を書いているのではないか」と言った。いくら取材をしたからといって、想像を入れすぎて書いているという批判である。確かにガン回廊の朝は記録された事実と想像される描写のバランスは取れている。

カレン・アンの永い眠り』は、脳死状態になったアメリカ人女性の安楽死を望む家族と医療の限界、死を判断しきれない法律の現実を描いたドキュメントである。また『プロジェクトX 救命救急ERの誕生』は大阪大学が設立した日本初の救命救急センター〝特殊救急部〟の活動を漫画にし、救急とは何をするのか?どう助けるのか?を軸に置いた。漫画は絵で伝えるメディアなので、医療情報もすんなりとわからせやすいのは利点である。この2冊は安楽死や救急といったひとつのテーマを軸に描く「テーマ・ストーリー」と言えるだろう。

以上、ノンフィクションにはルポ、体験、人間、社会、テーマなどさまざまな切り口、書き方があることがわかる。では私はどう書くのか?テーマは「欲望の救急とは何か?なぜ人は人を救うのか?」であり、登場する医師のことばや体験をヒューマン・ストーリーにしたい。最もお手本になるのは、『汝の父を敬え』だろうか。

本書の出だしの「ニューヨークのドアマンは見て見ぬふりをするという特異な感覚を身につけている。見てはならないものまで見てしまうからである。何を見るべきか、何を無視すべきか、いつ好奇心を持つべきかといったことをドアマンは心得ている」はきわめて秀逸である。マフィアのボスのボナンザがアパートの前で誘拐されたことは「見なかった」。ボナンザの弁護士に向かって放たれた銃声は「聞こえなかった」。なぜなら「証人になったところで、なんの得にもならないことをドアマンは経験から身につけていたからだ」とゲイ・タリーズは書いた。この一節でマフィアをめぐる面倒ごとを強く印象づけ、しかしがら誰もが興味を抱くということも描いた。ついでに記録者であるノンフィクションライター(ゲイ・タリーズ自身)は全てをお見通しということも含意している。事実(誘拐)、目撃なし(公判記録)、体験(狙撃)そしてドアマンの習性という話を一節にすることで、マフィアも社会問題も浮き彫りになっている。

私の書く本の出だしは決まっているが、それをどう「膨らませるか」この一節から見えてきた。その時あったこと、登場人物から見えたこと、見えなかったがあったに違いないこと、そして登場人物の忸怩たる思いと大学病院にある理不尽なヒエラルキーへの怒り……と書いていけばいいのだ。

私の究極の狙いは、読者に「自分ごと」と思わせて読ませることである。よくある救命救急センターのエンターテイメントドラマではなく、その舞台にいる医師と患者家族を描きつつ、彼ら医療人の姿や思い、医療機関にある現実、社会にある課題を読者と共有し、そこにあることを共に考えてもらいたい。事実やことばを詰め込みすぎず(説明しすぎず)、行間に見えないアンコを詰めて、人間・医療・社会を読者に噛んでもらいたい。
2026年5月14日

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