2026年5月25日
仏教思想家の山崎弁栄が講演で残したことばを編纂した『人生の帰趣』は、次の一節に凝縮されている(とりあえずそこらへんまで読んだところの感想^^)。
こ(子)は大霊なる親が万物を愛育する終局の目的なので、すなわち親が子に対する目的である。子は親の養いを受けて霊性開発真善美の極、すなわち如来の霊界に帰着するを目的とす。P128
帰趣とはその人が生まれて育てられ、生きて過ごしたところで到達する〝人生の着地点〟である。山崎は親が子を養い、子はその才や心、姿を磨くことこそ人生の目的であるという。人は何のために生きるか、何のためにそこに行くのか。「何」とは何で、「そこ」とはどこなのか。それを見つける旅が人生であり、回帰点に達してのち、真善美を実践することが使命である。
私の場合、10代の頃さまざまなことに悩んで旅に出た。最初は短く(1泊2日)、次第に長く(1ヶ月半)、もっと長く(1年間)旅に出た。もっとも長く旅をして帰宅したシーンを思い起こしてみる。
二十歳になった私は成田空港から自宅にもどり、父と母のいる居間のある部屋(3階)に着いた。実家は変なつくりの家で、子の部屋は2階、親のいる居間は3階で外階段で移動する。ちなみに1階の全部と2階の半分は人に賃貸していた。階段をあがり、居間のある3階のドアを開けると、奥から母が私の名前を呼んだ。母は来て玄関先で私を抱きしめてくれた。そのあとに続いたのは父の声だった。
「帰ってきたのか」
父は野球中継だか競馬中継だかを観ながらつぶやいた。しかも部屋に入って椅子に腰掛けてからしばらくすると、ぽつりと言った。
「お前は旅に出るようになって変わったな」
そのことばには、息子は「良いようには変わってない」という含意があった。旅の後の高揚感にいた私は反発した。その反発心は40年続いた。父が死んでからも心の底で渦巻いていた。父が死に母も死んでから数年後、ある瞬間に在りし日の実家の居間が蘇ってきた。それは私がその旅で外国にいたある日のことである。父は野球中継を観て、母は忍び酒を茶碗で口に含んでいた。父がぽつりと言った。
「あいつは大丈夫かな」
母はお酒を飲みこんでから言った。
「大丈夫よ。あの子は根性だけはあるから」
父と母の姿が心で見えた。二人のことばが心で響いた。二人は私のことを心配してくれていたのだ。その時初めて親の愛を知った。ようやく人生の入口に立てた思いがした。それは私が女性の姿で生きたいと思ってからしばらく後のこと、還暦過ぎのことであった。
自分という人間の変化と使命を知る。懺悔をして身から悪を追い出し善をいれ、善い人になり美しくなる。そして父と母のいる天界の居間に、もう一度帰っていく。70年ほどの長い私の一生の旅を終えて。そこが私の着地点である。父や母がどういう顔で迎えてくれるか。それは自分の人生の帰趣のありかた次第である。