摩擦屋としてのトランスジェンダー

私は女装家ではなくトランスジェンダーです。男性の服も靴もすべて捨てて、女性の姿で働き、生きています。

数年かけてその想いは相当遂げてきて、ほぼ周りの方々にはスルーされています(思いやりも多分にあるとはいえ)。きれいだと褒められることもあります(男性にしてはという注がつきます)。女性的な顔立ちになれるよう表情筋トレーニング、化粧やホルモン治療は欠かさず、女性的な姿で人の中に溶け込む実践をしています。

仕事先では意識的に女性的なしぐさや話し方は封印して、男性寄り、中性的に努める。女性っぽくすればするほど女性に嫌われることで痛い目にもあった経験からです。「浮いている」あるいは「排斥されている」と感じる場面もあります。お話をするお客さまの顔に「ハテナマーク」が浮かんでいるのを感じることもあります。そういうときこそ、できるだけ自然体で接するべしと思っています。

このように溶け込もうという努力はしますが、一方男と女の中間にいるトランスジェンダーとして、あえて「摩擦を起こす」ことは私の使命でもあります。

間違っていることは直言し、正しいと感じたことは曲げません。人と人の間に摩擦を起こすことを恐れるな。人間関係に細波をつくることを恐れるな。社会を正しく導く発言を恐れるな。ただしジェンダー平等とか多様性な生き方の権利とか、そのような追求するものではありません。平等や権利といった社会ルールを正すことは、私の本分ではなく、他の人にやってもらいます。

私の本分はそういった社会にある摩擦ではなく、人間が本質的に善く生きれるように善い摩擦を起こすことです。生き方の間違いを正すための摩擦であり、人にそれを考えさせる摩擦を起こすことです。

人と人とのあいだに溶け込めない、自分は人と摩擦を起こしていると感じることがあります。しかし、つねに摩擦を起こしているのは自分です。自分の中にある悪い部分が外部と接して摩擦を生じています。いやだと思う人間関係や悩みの大半は、自分発なのです。

ですから自分の中にある摩擦を減らすことから始めたい。懺悔をして摩擦を減らせるようになれば、他の人の中の摩擦も減ずる助けができるようになります。良い摩擦を起こすのが正しいかどうか判断できるようになります。それが霊性開発と真善美の追求であり、人がトランスジェンダーになる意義があります。トランスジェンダーとは、男と女の間に立ち、人と人の間に立ち、善い人間をつくることを追求する。霊性開発と真善美の追求をする人になることです。そこにジェンダーをトランスする真意があるのです。

思い起こせばイエス・キリストも摩擦屋でした。信仰を広めるために人々の間をさまよい、排斥され、しかしやめなかった。仏陀もまた摩擦屋でした。老いや死を見て悩み、その意味を考えてさすらいました。真の摩擦とは、外国人を排斥することでもなければ、象徴に過ぎない国旗を示威することでもありません。諍いをつくるだけの摩擦屋が横行する今こそ、善い摩擦屋が増えないとなりません。

私は「摩擦を起こせ」とトランスジェンダーの方々に告げたい。自分の中にある摩擦に目を向けて掘り起こし、ジェンダーを超える意味を考えてほしい。そこから善い摩擦を社会につくり、社会にある差別や格差、さまざまなギャップをトランスする(超える)役割がトランスジェンダーにあることを意識してほしい。
2026年5月27日

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