昨夜の哲学の会(オンラインで哲学や宗教哲学、人間の存在や生き方に関する悩みを語り合う会合)で、望月先生がいい比喩をしていた。先生いわく、「人間はみな同じひとつのテーブルにいる」というのだ。解説してみよう。
世界はひとつの大きなテーブルである。元々そのテーブルの上には何もなかった。あらゆる人びとが、老若男女や国籍や言語文化の違いもなく、そのテーブルについていた。テーブルとは人びとが無意識(心)レベルでつながる共通基盤である。集合的無意識といっていい。つながっているから大きな諍いはなく、理解し合うことができた。
ところがそこに人の集団がつくられて、それによって国境ができた。戦争が絶え間なく続き、貧富の差や階層で悩む人々が増えた。人は物質主義になり、科学がそれを高めていった。心すなわち魂という見ることができないものを否定していった。生命を細胞分裂や液体で理解しようとする医学によって、生命は極限にまで物質化していった。
だが肉体から魂を離すことができる人は、テーブル上の境界にも物質にも汚れにも邪魔されることなく、人の心に到達することができる。心で伝えて、伝えられることができる。それは超能力ではない。あらゆる人がもともと持っていた心の力である。私たちは近世以来、科学的思考や意識重視によって心を使うことが塞がれきてきたのだ。
私たちがやらねばならないのは「大きなテーブル」の復活である。離脱や解脱ができる人を増やすことである。心で通じあえる能力を復活させることで、理解し合えないとか、いさかいやいじめを減らすのだ。私自身もそこを目指しているが、その研究書のひとつが『黄金の華の秘密』である(ユング、ヴィルヘルム著 人文書院 1993年)。呼吸法と瞑想法によってその境地を回復できるという。本書の長い序文を書いているのは心理学者のユングだが、彼の患者のことを次のように書いている。
私はある女性患者から1通の手紙を受け取った。彼女は心の傷を癒すために必要な心的態度の転換についてこう述べている。
「悪いものの中から、多くの善いものが私にやってきました。じっと静かにしていること、何一つ抑圧しないこと、注意深くしていること、それと同時にー現実を、私がそうあってほしいと望むようではなくようにではなく、あるがままにー受け入れること、こういった態度がすぐれた認識と、以前だったら思いもかけなかったような尋常ではない力を私にもたらしてくれました。
以前私は、いったん物事を受けいれてしまえば、それが何らかの形で私を圧倒してしまう、といつも思っていました。今は全く違います。人間は物事を受けいれることによってこそ、態度を決めることができるのです。
ですから今私は、人生という遊戯を遊ぶつもりでおりますし、この1日と生活とがその時その時に私にもたらしてくれるもの、善いものも悪いものも、絶えず交代している日光と陰とをそのまま受けいれています。そしてそれとともに、よい面もわるい面も備えた私自身の本質をそのまま受けいれています。以前の私はなんと馬鹿だったのでしょう!あらゆるものを、自分の頭で考えた通りに従わせようとしてあくせくしていたのですから」(本書PP89-90)
私も大きなテーブルで伝えて、伝えられるようになりたい。
2026年6月23日