最近「心に力が入らない」ことが数度あった。無気力になって何もできそうもない。鬱病の入り口はそういうものである。原因は忙しい、それだけである。忙しくて笑顔が乏しくなり、ネガティブになって、猫とも遊ばず猫まで神経質になってしまった。そんな自分を嫌悪する自分がいて、仕方がないじゃないかと正当化する自分に気づいてますます力が入らなくなった。そんな時にひとつの言葉を思い出すようにしている。
I am who I am.
旧約聖書の言葉。モーゼはイスラエルの民を救えと神に遣わされた。モーゼが神に「私は誰から遣わされたと言えばいいですか」と神に聞くと、神は「I am who I am」と答えた。「私はあるという者だ」「私はあり続ける者だ」と世界中でさまざまな解釈がなされてきたが、私はこういう意味だと思う。
私を求め続けよ。
トルストイは『懺悔』の中で「神を求めて生きよ。そうすれば神のない生活がなくなる。」と書いた。
神を求め続けることは生きることである。求め続けることで善になれる。それは使命を求め続けることと同じことである。とすれば、留まることは求めを止めることであり、使命も捨てることである。求めて生きることは、過去のことでも、未来にすることでもない。今やることだ。だからこそモーゼへの答えは「私は私である」「私は変わり続ける者である」という現在形なのである。
ヨガの瞑想法で「過去にとらわれると後悔する、未来を思うと不安になる、今ここにある自分の心を見つめよ」というのは、現在形で生きることが唯一ポジティブになれるからである。
2026年4月7日